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yurio’s diary

日々の気づいたことをのせています。

からし蓮根ものがたり

からし蓮根というものを初めて食べた。

 
からし蓮根とは、
穴が無数に開いた白っぽい野菜の、その無数の穴部分に、からしをひり出して詰めた後、天ぷらのように揚げた食べ物であるらしかった。
熊本の名物らしい。
 
 
穴は大きめであるので、口に放り込んだ瞬間、タブレットのごとく型取りされた辛子が口の中でてんやわんやする。
そして蓮根がざくざくしていて、なかなか面白い食べ物である。
辛い食べ物というのは、ちょっとで満足度が高くて経済的だ。
結論としては、これはどう考えてもおかずではなくツマミであるということがわかった。
 
しかし、一体熊本の人は、なぜカラシを穴に詰めようなどと思ったのだろうか。
なぜ辛子なの。
なぜ明太子やウニじゃないの。パンじゃないの。うなぎじゃないの。
めんたいれんこん、たべたい!
 
 
ある日の熊本太郎12歳。
 
太郎は今にも倒れそうな小学校から帰宅し、こたつでまったりと夕飯のできるのを待っていた。
 
「太郎ー。辛子ひり出しといてー」
 
太郎は母に言われ、晩飯のおかずに添える辛子を皿にひり出そうとした。
 
そこには、
ゆでた無数の蓮根があった。
 
蓮根は風呂上がりの人魚のような湯気を放っていて、さあどうぞ と言わんばかりに穴をいっぱい開けて太郎を待っていた。
 
太郎はどうもどうも、と言いながら、皿にひり出す代わりに蓮根の穴のひとつひとつに辛子を注入してみた。
 
驚き叱るだろう母を想像して太郎は一仕事終えた心持ちとなる。
 
いわんや辛子入りの蓮根を口にした父ちゃん母ちゃん弟妹いとこにはとこも口をそろえて大喜びの大喝采。
疲労回復、情緒安定、商売繁盛、家内安全ときたもんである。
 
そういうわけで、太郎一族をはじめ熊本県では蓮根に辛子をひり出すようになった。
我々が今日口にできる辛子蓮根の穴には、穴ひとつひとつに熊本太郎、二郎、三郎、四つ郎、太郎母、父、子猫のジョージの思い出が生きているのである。

 

何もしない日のごちそう

今日はつかれていた。

朝から疲れており、夕方になってもやはり疲れていた。
そう言えば昨日もおとといも疲れるのを忘れていたので、そのためであろう。

 
不思議なものでそういうときには寝ていてもなにをしていてもダメである。
しっかり疲れてぐったりし、自己嫌悪になるまでが一工程であるので、ぬかることの無いよう。
そして我々は、またいつか浮上する、そのときに備えればよいのだ。
 
そういうわけでごはんを作るのも嫌である。
しかし私は、5つの山を越え、谷を越え、決死の覚悟でごはんを炊くことができた。貴重な白米を計り、濁流で三度の水洗いをし、封印されていた黄金の炊飯器のスイッチを押すまでに、計5時間を要した。
日々は冒険だ。
 
 
そしてできあがった本日の夕食はこれである。
 
 
お茶碗いっぱいのごはんに梅干し。
 
以上だ。
森羅万象神神もきっとごはんが大好きだ。粗末とシンプルが大好きだ。きっと私を祝福してくれている。
 
 
梅干しは私の大好きな蜂蜜入りだ。
わたしに 
「いいよいいよ今日のところはそれでいいじゃない、私おいしいんだから」と語りかけてくる。
 
 
なにか神妙で、慎ましい気持ちになる。
 
…………おいしい‼︎‼︎
 
涙がでるわい。
今日はもう、これでいいよ。
 
 
そしていつか高級な大きくて柔い蜂蜜梅干しを1日朝晩ひと粒ずつ食べる生活が私の夢だ。
おばあさんになってもきっと幸せだ

ありがとうございますのゲシュタルト

ありがとうございます。

ありがとうございます。
バスの運転手さんは、とっても丁寧。
 
終点で乗客が沢山降りるとき、もう、こんなに乗ってたの!っていうくらいいっぱい出てくる。どんどんでてくる。
 
1人1人出て行くたびにきちんとお礼を言うから1秒につき2回くらい言わないと追いつかない。追いつけない。
毎秒2回のありがとう。
ありがとうございます。ありがとうございます。あーとござ…
言いすぎて途中からは
 
とーざーまーになってくるよ。
 
とーざーまーとーざーまー
リズムがなかなかいいね!
 
途中からは、もう一呼吸して初めっから とーざーまーになってくるよ!
外様‼︎
 
 
とーざーまー
といざーまー
今日も元気に
とーざーまー
といざーまー
元気になれよ
ずんずんずん
 
とーざーまースーゴーイ

 

平日夕方用事かあるのに電車が動かないときの過ごし方

平日夕方もしくは夜、さあ帰ろう今帰ろう帰ろうドヤァと駅に着いたとき、

感じる不穏の空気。
人がざわつき改札口周辺には吐き出された人だまり。
 
そして見えてくる、運転見合わせの手書きで書かれた赤い文字。戦慄。
アナウンスが流れ、オメェらしばらくうごがねぇがらな、と言い、人々のこの先2時間くらいの運命を告げる。
 
人々はうめき、たじろぎ、のたうち回った。のたうち回る人々の大量発生により、駅は突如として、陸に打ち上げられた大型魚の群れで覆い尽くされんばかりといった様子であった。
 
しかし人々は見たいテレビがあったのにとか、ビールを今すぐ飲みたいのにとかそんなことは言わず、大人しくのたうち回っていた。
 
対してわたしはこの日用事があった。
仕事帰りに電車に飛び乗りあずさ二号で時の彼方に行きたいというわけではなかったが、大変楽しみにしていた用事であった。
平日夕方仕事帰り。定時で帰れた夕方には、熱い風呂で半身浴、のぼせて真っ赤なタコになって水揚げされ、末はタコとして空を舞う。そんな生活に想いを馳せながら、早く帰るがよいか、街に出て冒険を求めたら良いか、と迷うのである。
 
まして元気に電車で冒険しようと向かおうというときに、電車はウゴキマセンとこうきたもんである。
私は迷う。
なぜなら電車が止まれば、頑張って冒険しなかったことについても、自分のなかで言い訳ができそうだからである。
 
今日遅くなるかもだから!と家族に朝鼻息荒く宣言したにも拘らず定時帰宅。お父さん、どうしたの?お父さん、頭悪いの?お父さん、くびになっちゃったの?と曇りのない眼で問われたときにも、うんちょっと電車がね、じゃあ仕方ないねと無事な顛末を迎えられそうな気がする。
 
しかし私は別の路線から遠回りして目的の場所へ行くことにした。
元々行く予定だったとはいうものの、予定の電車に乗れない、駅すぱあとは役に立たないといった壁をよじのぼって乗り越えた上で後ろ振り返ってぶちこわした、達成感はなお一層素晴らしく爽やかである。
 
しかし今日も人身事故で人が死んでいるのだろうか。駅や警察の人は死体を運ぶのか。わたしにはその人の、飛び込むまでの思考に追いつけない。想像ができない幸せを、私は歩んでいる。

ひとりぼっち小学生

今朝、わたしは急いでいた。

 
会社に行かねばならないからだ。
 
別に行かねばならないというわけではない。行きたくなければ行かなければ良いのだ。
会社へ行くのをやめて羽田発のワイキキ直行便の機体の上に飛び乗り、上空10,000メートルの旅を満喫。それから太平洋を泳いで北極圏を大きく迂回しアイルランド人と出会って結婚、5つ子を出産し自らのアイデンティティーと運命と税制と法律の狭間で揺れながらも末長く平和に暮らすも自由である。
 
しかしわたしは京王バスに飛び乗り、王子と100人のじいの家来の待つ城へ向かうことにする。
 
駅のそば、先を急ぐ人が前から後ろから右から左 下から上へと行き交う。
 
その中で1人、小学生の女の子がとぼとぼとなめくじ並みの速度でいた。彼女の周りの空気だけ、包まれてゆっくり漂っていた。
私立の制服を着て、かぶっていてもいなくてもその形をきっちり保つ固い帽子を頭に乗せていた。
 
彼女は全然学校に行きたくないわけではないのかもしれなかった。足が痛くて筋肉痛の上痔持ちだから出来るだけゆっくり歩くように心がけているのかもしれなかった。あるいは足元になめくじの友人が5匹ほどいて、どれだけゆっくり歩けるか、スローモーションの限界に挑んでいるのかも、しれなかった。
さらにちいさなその後ろ頭では、華奢な身体では、女の子なのか男の子なのかもはっきりしない。
 
しかし実際彼女は全然学校に行きたくないのだろう、と思った。
高校生くらいになれば、学校はそんなに生活の中心にしなくたっていいんだよ
学外で活動しなさい海外行っちゃいなさい
と言うけれど、
小学生の彼女にとって、受け止められる世界の大きさはどれほどだろう。
 
けれどうきうきだけじゃない学校を知り憂鬱を知り足早に通勤していく目の前の大人たち、目の前の社会、ひとりぼっちの感覚は、きっと君を育ててくれる。
 
 
そんなことを思った朝でした。

2番の服を買った日

先日2番の服を買った。

 
2番の服と言うのは、可愛いさが2番なのではなく、正面に大きく 2  と書いてある。
 
 
私が描くとエキセントリックな服になってしまうが、ごく可愛いのである。
生地はつるんとしていて高級なトレーナーのようだし、
襟元は流行りの詰まった首元だし、
2番と書かれた丸い球はピンボールのようで、
シンプルな形はカジュアルなデザインを生かしつつ、フレアーな上品なスカートとも相性抜群よ
 
と2番の彼女は私に語りかけてくるかのようであった。
私は彼女と今後の冬を共にしようと言って、彼女を連れて帰った。
 
ところでこの服は、数字の種類は2 のみであった。7番とか1番とか10番とか18番とか縁起の良いかっこよい数字ではなくなぜ2 なのか。
 
私は思った。
 
これを着て行ったときに、
 
「どうして2番なのですか」
 
と道すがら聞かれたらどうしようかと。
 
よもや2番目が好きだから
などとは言いたくない。
 
なんでも1番が1番である。
最初、初めて、優勝。初恋、1番バッター、初婚、初めての彼氏。初夢、初雪、初詣で。
何れもおめでたく、ド派手かつ初々しく、今後の未来にひとつの曇りもない予感がする。
 
対して2番はこうである。
 
次点、準優勝、初恋で敗れた後の電撃的な出会い。バツイチ。2番目の女。初めてじゃないまだ慣れてもいない初々しい雰囲気。
 
 
……意外とドラマに溢れている。
 
1番になれない。
来たかったのはここじゃない、もう一つ上の表彰台だったのに。わたしだけのあなたじゃないから。。
 
2番目万歳である。涙が人生をより豊かにしてくれるのなら、美しくなくてもいい、正しくなくても良い、
泥くさく生きようじゃないか。
 
そういうわけで
想定問答の答えはこうである。
 
「私は2番目の女なので」

 

憧れのつりさげ収納

シューズホルダーを買った。

ポリエステル綿麻混のやつである。
 
 
なにに使うかというと、
 
疲れ切って薄汚れたおじさんを四つ折りにしてさらしものにするのである
 
というのは大うそで、
 
 
マフラーを入れるのである。
 
 
色んな色のマフラーがシューズホルダーから覗いて見える。
 
マフラーは大概ハンガーの輪に通すには分厚すぎて、片付けには一苦労する。
さりとてそのへんの突起に無造作にかけるにはマフラーのそれは長すぎて目立ちすぎて掛け終わった時点でもう罪悪感でいっぱいである。
可愛いマフラーの可愛いも台無しである。可愛いから好き の可愛いをとってしまったら一体あとなにが残るとのたまうのか。
 
 
そう、だから外で散々な目にあったあとなどには、マフラーをかけるのが億劫でならない。億劫すぎてそのままわたしは玄関にへたりこむ。フェイスブックツイッターとさほど役に立つわけではないけどなぜか気になるブログを3周ほどしたあと、ようやく立ち上がる。
この時点で既に帰宅から30分は経過しているのである。
 
吊り下げ収納。
 
かーーー!
なんてスバラシイんだ!
 
マフラーがかわいい!
マフラーがかわいいぞ!
 
これで私の人生は全て解決だ。
というほど本当に嬉しい。
 
その上、これはコートハンガーに設置する。とっ散らかってぎゅうぎゅうがモウモウにさえなりかけている私のコート群の横に、このすっきりとした収納スペースができるわけである。
 
ホゥ…
かっこいい…
 
 
昔、愚かで浅はかだったティーンの頃、雑誌のお部屋特集などをみると、よく可愛い人のクローゼットには、
ハンガーに掛けられたコートなどの横に、いかにもおしゃれにこさえられた白い吊り下げ収納があって、
私は憧れた。
 
それが吊り下げ収納とか、棒にマジックテープで固定されただけのシューズホルダーを利用した小物入れだとか、そんなことすらわからなかった。
 
私が認識できたのはそのクローゼットの凹凸であり、めりはりであり、色彩であった。
なんともシューズホルダーを設置したクローゼットというのは、バランスよくそれだけでおしゃれに見えるのである。
 
 
そして長い年月が流れた
………
 
…………
 
 
 
ハッハッハッハ
ハンガーの首根っこにやけくそにマフラーをねじ込む日々にはこれにておさらばである。
 
1日の終わり…
 
帰宅してそっとマフラーをはずし、
私は立ったまま、しかし落ちついた心持ちにて、美しい長方形にこしらえる。
長方形は長すぎず三角すぎない。
 
マフラーとタオルを畳むのは大得意である。失敗したことはない。
 
気分はすっかり美人で健気な主婦兼お嬢様である。年収一千万だけどそこそこ早く帰れて家庭も充実している忙しいけどこのほんのひとときが幸せです、なんていうスーパー兼業主婦である。
 
 
そしてマフラーをシューズホルダーにしまって、また明日の出番を待つのだ。
 
 
かー!
 
 
粘り強くゴキブリホイホイのような執着心で有名な私は、
さらにスカートをなんと三枚ひっかけてナンパしてお持ち帰りしたくなるスペシャルハンガーも購入した。これも無印である。
 
これで布地の問題はすべて解決だ。
明日もよろしくお願いします。